ぼくの人生での、ギャンブルとの付き合いを振り返ってみました。
書いていくにつれ、自分のクズさ加減に呆れかえった(笑)

スポンサーリンク

麻雀で学業がおろそかになる

18歳の高3の時、社会人に誘われ、仲間内で麻雀をはじめる。
最初は賭け事というよりゲームとしての魅力のほうが強かった。
上手になりたい!その一心で夢中になった。
これがぼくの人生で最初にやったギャンブルでした。
たしか1時間に1000円動くか動かないかの金額でした。
それでもバイトを数えるほどしかしたことなかった、当時高校生のぼくにとっては大金で、
リーチをかけるたびに心臓がどきどきしていたのを覚えています。


最初はとにかくカモにされたので、とにかくカモられないように必死でした。
何事も興味関心は強いほうで、のめりこみやすい性格が夢中にさせたのかもしれません。
やがて仲間の誘いもないのに麻雀がしたい!と思うようになり、
フリー雀荘に出入りするようになる。
(フリー雀荘というのは知らない人たち同志で集まって麻雀をするお店のことです)
センター試験間近に迫っていたが、麻雀があまりにも面白すぎて、勉強が手につかなくなりだす。
高校生までは真面目に学校生活を送っていましたが、3年生も11月頃、
この頃から、学校に遅刻するようになりだします。遅すぎる不良期の到来(笑)
当然大学受験に失敗することになります。
第一志望はダメでしたが、それまでの勉強貯金はかなりあったため、なんとか国公立にすべりこむことができました。

大学へ入学

大学に入る。
大学に入る頃には麻雀もだいぶ上達していました。
勉強しに行くと嘘をついて毎日のように麻雀やっていたからねw
大学で出会った友人同志で打つ麻雀では自分を満足させられなくなっていた。
お客さんとして遊びに行っていた雀荘で、「人手が足りない」と言われて、バイトするようになる
当然のように学校へ行かなくなる(笑)


この頃からだんだん麻雀のレートがあがっていく
点5、点ピン。
(1時間で1万円くらいの金額が変動するようになります。)
そして大学生であるということをいい理由に、たくさんのお店に遊びに行きました。
街中で雀荘の看板を見かけると、とりあえず入ってみる。みたいなそんな感じ。
麻雀で勝ったお金でたくさんの場所へ遊びに行った。

危ない世界へ足を突っ込む

このころは、mixiやgreeなど、SNSが駆け出しの頃、全盛期でした。
当然ぼくも使いこなしていた側で、強い人を求める一心で、ネットで知らない人と出会い、麻雀を打ったりもしました。
連絡先で知っている人は麻雀関係者だらけ。
そんな中、知り合いの紹介で、高レートの雀荘にも出入りするようになります。


とある政令指定都市の街中にひっそりとたたずむ怪しいお店。
そこは20歳の学生が出入りするには明らかに身分不相応な場所ですが、扉だけはなんとも頑丈なつくりで、入るときは身ぐるみ剥がされるんじゃないだろうかと、正直ビビった。
分厚い扉の向こうでとんでもない金額がやり取りされているのを見た。生で100万円以上の大金を見るのはこれが初めて。

建設会社の社長や何してるのかよくわからないお兄さん(やーさん?)夜のお姉さんなど
1時間で何十万円も変動するような麻雀を打っていた。
財布の中に帯が何本も入ってるのを見て、見ないようなふりをしつつ財布の中身が気になって仕方なかった。
そこを勝負の場として決めた僕は、日が許す限りそのお店に通い詰めることになる。
ぼくが経験したのは、1時間で5万円くらい動く金額がマックス。
気さくな人が多く、一番年下ということもあり、可愛がられた。
人のお金で代わりに麻雀を打ったり、(人のお金しかも大金なので、内心はものすごくビビっていた。)
飲みに連れて行ってくれたりもした。
学生には負担が重すぎたが、なんとかバイト代以上の金額を稼いでいた。

大学を中退

大学の成績が実家に送られ、両親に大学行ってないことがばれる。
大学行くから・・・と約束をし、もう一回大学生活に戻ろうとするも、やっぱりなじめない。
志望校を妥協したというプライドが自分自身を許さなかった。
楽しそうに大学生活を送っている周りが羨ましくて仕方なかった。
プライドだけは人一倍高かったぼくは、どんどん一人ぼっちになっていった。
サークルでなんとなく友達を作ったりもしたが、だれと一緒にいても、孤独は満たされることなかった。


大学に通いだしてからも、相変わらず怪しいお店への出入りは続いていて、
毎日お札に入っている現金の金額が、おかしなことになっていた。
大学では、財布取られないかな?といつも心配しながら構内を歩いていた。
明らかに大学生が持ち歩くような金額ではない。
自分でもおかしくなりそうな予感はしていたんだけど、この時はそんな深刻に思っていなかった。
なんとかちょうどいい具合にお小遣いを稼いで、気分良く引退。サックリとこの生活はやめられないものか。
そんな風に思っていた。


ある日、お店に行くと、知らない顔の人がいた。顔なじみしかこないお店なので、知らない人はほとんどいないはずの店だ。
歳で言うと40くらいだろうか。
妙に手つきがゆっくりで素人にしか見えないその人は、周りとは明らかな違う空気を放っていた。
間違いなくその道のプロだった。


「麻雀が強くなりたい」
その一心でその人と勝負をすることに。
だが、実力差がありすぎる。
麻雀は、運やツキに左右されるゲームだが、
明らかにその人は、ぼくを狩りに来ている。
そろそろ勝ってもいい頃なのに・・・
そう思っても勝てない時間が続いた。
勝てる気がしなかった。
3日ほど店で寝泊まりし、勝負を続けたが、結局50万円ほど負けた。
帰り道
「自分はこの世界で生きていくのは無理だ・・・」
空を見上げながら、頭はぼーっとしていたが、なんとなくそんなことを考えていた。

何にも考えたくなかった。
起きているとおかしくなりそうだったので、起きては酒を飲んで、飯食って寝て、を繰り返した。
「麻雀は引退だ。」
しばらく麻雀から離れようと思った。

大学に戻ろうとするも、勉強も手につかない。
頭の中は負けたあの日のことばかり考えていた。
生活をリセットして、すべてやり直そう。
そうだ。大学にこのままいたって通えるようにはならない。
大学を辞めて、働こう。
そしてぼくは、大学を逃げるように、辞めることになる。
もちろん麻雀が原因で大学をやめたことなんて両親にも言えるはずがなかった。
実家にも戻れない。
大学の近くに住んでるわけにはいかない。
ぼくは、社会から完全に姿を消した。失踪したのだ。

麻雀屋に就職

社会経験もない、大学を辞めた若者にまともな職なんて待っていなかった。
麻雀ばっかり打っていたら、麻雀屋に就職するという選択肢しかなくなっていた。
幸い、家がない人でも雇ってくれるくらい、人手がいない業界だ。寮付き、食事付きは当たり前。
好きなことしながら給料がもらえ、飯が食えるのだ。
生活には困らないと思った。
面接は簡単な麻雀のテストだった。一瞬で通った。
就職するのはわけなかった。が、想像もしてなかったことが起きる。
九州の人手が足りないということで、
入社後さっそくぼくは、東京から九州へ飛ばされることになった。
入社して初日の出来事である。
九州なんか修学旅行でしか行ったこともなく、まったく知らない土地だった。
会社はどこの馬の骨かわからない新人に対して、九州行きの飛行機チケットを手配してくれたのだ。
しかも人がいないから、飛行機のチケットは予約しておくから、金はこれで払えとポンと飛行機代を渡された。
「この会社大丈夫かな・・・?」
逃げることとか想定していなかったのだろうか。
そう思いながら、入社した足でそのまま空港へと急いだ。

業界では大手のチェーン店だったが、内情は散々だった。
シフトは1日12時間。実働は14時間くらい。休憩はなし。
飯を食う時間はちょっと与えられるが、その間にも仕事が入ったら飯は中断。食いかけの飯をそのまま捨てるということもざらだった。
こうしてぼくは、月に360時間働くブラック企業に就職することになる。
幸い身体は丈夫なほうで、体調が悪くなったりはしなかった。
今更大学に戻りたいと思ってももう遅い。
自分はもう後戻りできない世界に来てしまったのだ。
泣いて帰るわけにはいかない。


店が繁華街の近くにあったため、仕事後は遊ぶ余裕すらあった。
人生で初めて行ったスナック。キャバクラ。
スナックで働く中国人のママから「よろしく」と女の子を紹介してもらった。
常連にしたくて、女の子を紹介したのだろうか?
日本語はたどたどしかったが、とても可愛らしい女の子だった。

出世と異動

1年近く働き、昇進と同時に異動を告げられる。
ブラック企業とは思えないほど実力主義の会社だった。10年以上働いている平社員もいる。
同じ店にいると気まずくなるだろうからか?気にして、昇進と共に違う土地へ引っ越しとなった。

このころになると、会社の内情をだいぶ把握していた。
平社員で14時間はいいほうで、上へ行けば行くほど、さらに労働時間が過酷になる。
休みの穴埋めは店長や責任者がしている。
店長は明るい人だったが、毎日ふとした瞬間に死にそうな顔しているのを目にしている。
このまま働いていて、大丈夫だろうか?ふと、そんな心配がよぎった。
「辞めよう。」
そう決意した。
辞めるなら、このタイミングしかない。
けど、どう辞める?
出勤、退勤は寮のメンバー全員で団体行動が基本だ。
逃げられない。
缶詰状態の寮で、逃げるわけにもいかない。じっと考えた。

寮生活だったので、金が出ていくことはなかった。
貯金はある程度貯まっていた。

自分以上に店長がしんどい思いをしていたのを知っていたから
このままいると壊れてしまう。
そして出世を受け入れれば、さらに辞めづらくなる。

こうしてぼくは、休みの日の自由行動を利用する。
次の日は移動日だったので、休みと合わせて2日間の時間的余裕が与えられていた。
大きい荷物を持っていくとばれてしまうので、最低限の荷物を持って寮を後にした。
辞表と、置手紙をそっと枕元に隠して。
そして逃げるようにして、また別の土地に移り住むようになる。

知らない土地で暮らす

知らない土地でも仕事に困った。
ずっと孤独を生き続けてきたので、人付き合いが苦手になっていた。
バイトはすぐに見つかる。仕事はいくらでもある。
でも問題がある。

全く続かないのだ。
1週間すると、起き上がれなくなって、行けなくなってしまうのだ。
何度も自分を責めたが、一向に良くならない。
ひきこもりのような症状が出ていた。
履歴書を書いては面接へ行き、何度もバイトを転々とした。
俺には麻雀しかないのだろうか・・・
結局麻雀屋で働くことになる。
しかし麻雀ももう、本気で打つことはできない。
お金のやり取りをすると、明るい人だと思っていても、信じられないくらい態度が悪くなったりする。
人から嫌われるのが恐かった。
ただでさえ、孤独なのに、一人なのに・・・。
それでも人から嫌われたくなかった。
この頃になると、お客さんにも気を使ってわざと負けたりするようになっていた。
麻雀は自分の給料を賭ける。負けたら給料が出ない。
ぼくの給料は、負け分でほとんどなかった。
最低限の生活をしたら、あとは何も残らなかった。
こんな状態では死んでるのと一緒だ。
もうやめようと思って、他のバイトを探すも、何をやっても続かない。
そんな自分を責めつづけて、ぼくの精神は壊れてしまった。
うつ病で何にもやる気がなくなってしまったのだ。
家賃が払えず、部屋を追い出され、ホームレスになる。


市役所へ相談へ行くも、
「あなたまだ働けるでしょ、生活保護なんて何言ってんの。」
と相手にしてもらえなかった。
働けるはずだった、麻雀屋でも仕事が手につかなくなる。
麻雀屋での仕事も転々とするようになっていた。
しかし仕事をしないと飯が食えないので、転々としながらも、なんとか日払いの給料でごはんを買い、生き延びた。
一晩中歩き彷徨い続けたこともあった。
ネットカフェのオープンシートは、当時のぼくにとって天国だった。
座って寝れるだけで幸せだと感じていた。
この頃からお酒が手放せなくなり、だんだんとアル中になっていく。

スロットにはまる

人付き合いが本当に無理になり、麻雀屋で仲間について行く程度だったスロットをはじめるようになる。
毎日、ネカフェに泊まれるようになっていた。(オープンシートではあるが)
パチンコ屋のうるさい環境は、何にも考えたくないぼくにとっては都合のいい場所だった。
思考停止できるのだ。
日払いの給料をパチンコで使い切り、仕事をする日々。
幸せとか、不幸だとか、そんなこと考える気力すら失いかけていた。


ある日、とんでもない出来事起きた。
昼過ぎに当たり始めた台が止まらなくなったのだ。
何これ?と思いながら、増え続けるメダルに戸惑いを隠せず、周りをキョロキョロしていた。完全に挙動不審だったと思う。
隣のお兄さんが
「すごいですね」と声をかけてきた。
お兄さんの台も出ていたので、期限が良さそうだった。
台の状態をあまり知らなかったので、いろいろ教えてもらった。
閉店時、換金所に行くと30万をポンと渡された。


え、こんなに?じわじわと喜びが湧き上がってくる。
そうだ。勝ったのだ。
その日は、ご褒美にオープンシートからフラットシートへチェンジした。
シャワーもめんどくさがって何日かに一回だったが、身体を全身洗った。
ひげも剃って綺麗にした。
目の前に一気に光がさしてきて、突然ぼくの人生は明るくなった。

次の日もぼくは同じ店にいた。
まずは昨日打っていた台の元へ向かった。
その台は昨日、17000枚出ていた。最高出玉記録を更新している。ぼくの記録だ。
勝てる気しかしなかったけど、その日は慎重になった。
手に入ったお金を失ってしまうのが恐かったのだ。
結局この日は、スロットは打たず、コンビニでノートを買った。
「まずはホームレスを脱出しよう」と決めてノートに書いた。
今後のこと、これからどうすべきか、どうしたいか。どうやって人生をやり直そうか。
今思っていることをひたすら書き出した。
麻雀屋での仕事はやめて、まっとうな昼間の仕事に就こう。
いきなり就職はできないから、アルバイトでもいいから、もう一回チャレンジしてみよう。
部屋を契約しよう。さっそく部屋を探すことにした。

勝ったからなのか
空き時間にふらっとパチンコ屋をのぞく癖がついていて、
気が付けば、この1ヶ月は70万円くらい勝った。
勝っていると、不思議と「俺、スロット向ているんじゃね?」
と思うようになっていた。
仕事をすべきだという意見と、仕事なんかせずにスロットで食っていけば?
という意見が頭の中でごっちゃになっていた。
結局仕事を探している間、3か月だけスロットで生活するようになる。
やっぱり勝てないなってことがわかってくる。
貯金も減りだして、そろそろやばいぞと。
何度目かわからないが、ちゃんと働こうと決意。
いまのコンビニに入る。

バイト、そして就職

忘れもしない12月の年末だった。
1年で一番忙しい日に、ぼくは未経験のままいきなりレジに放り込まれることになる。
最初は右も左もわからずあたふた。
明らかにお客さんはいらいらしている。
それでも目の前の仕事を覚えようと一生懸命だった。
人手が足りなったのもあって、頼りにされるまでに時間はかからなかった。
すぐに時間帯の責任者を任されるようになって、給料もあがった。

ここでも過去のトラウマがこみあがってくる。
この仕事でもその瞬間はやってきた。
仕事前に起きると、身体が動かなくなってしまうのだ。
と同時に何にもやる気がなくなって、抜け殻のようになってしまう。
ぼくは過去のトラウマを克服できていなかった。
職場からは連絡がかかってくる。
無視する。というかどんな声で電話に出ていいのかわからない。
電話に出られるくらいなら仕事にいっている。いけないのだ。

翌日、社長が家に来た。
「無理でもいいから、とりあえず顔を出してきてくれたら、それでいいから。」
うつに理解がある人で、
ぼくが勝手に休んだにも関わらず、働くことを強要されることはなかった。
それどころか、頼りにされた。
そういわれて、ぼくは徐々に心を開いていくことになる。
現在いまの職場で働いて、6年目になる。
正直いまの仕事をこんなに続けることになるとは当時のぼくは思いもしなかった。
今の社長がなければこれまでのバイトと同じように、ぶっちして辞めてしまっていただろう。
どんだけ救われたことか。
自分から変えていかなければ、何も変わらない。
ぼくは今のままではいけない。その気持ちがぼくを行動に移させた。


「仕事を無断で休んでしまったことは申し訳ないことだと考えています。
クビと言われても仕方のないことをしました。
でも、もう一度、やり直したいです、ここで働かせてください。」
ぼくは頭を下げた。
職場で一緒に働く人にも頭を下げて、許しをもらった。
飛んでしまうとみんな来なくなる。
頭を下げて戻ってくる人は珍しい。
この先、バイトが連絡つかず、来なくなるたびに、ぼくの過去の罪がいじられることになる。


給料が毎月安定して入ってくるようになってからは、
スロットの依存からも、どんどん離れられなっていた。
お金をいれつづければ「いつかは出る」という感覚に陥り、仕事終わりに毎日のようにパチンコ屋に通うようになる。

毎月の給料で、fxなどにも手を出すようになる。雑誌で見て、脱税をして捕まった主婦だとか、副業でトレードで稼いでいるサラリーマンの話とかを読んだことがきっかけだ。

この頃、ちょっと今月のしんどいなと思ってなんとなく審査だけしてみたら、消費者金融の審査が通る。
コンビニでも勤務実績が長いから信用がついたためだろうか。

全力勝負をするようになる

27の時、だんだんと、給料日に全額ギャンブルにお金を突っ込むようになりだす
最初はちょっとだけという気持ちでなんとなく借りた借金が膨れ上がっていく。
上限まで借りたところ、消費者金融から連絡がかかってくる。お客様は返済の実績があるので、利用可能枠が増えましたよ。と。もはや悪魔のささやきである。
借りたお金をfxで増やして、利子を返済しながら短期投資でお金を増やしていこうという暴挙に出る。

忘れもしない米国大統領選がやってくる。トランプが勝った日だ。あの日の相場はお祭り状態だった。完全にラリっていた。
トランプ優勢と報道されると円が大暴落。
全力売りで10万円の資金を200万円まで増やすが、大暴落のあとに、予期せぬ大暴騰。消費者金融ですかさずお金を借りて、全力で売りを続けていたら、いつの間にか損失はマイナス300万円に。結果マイナス100万円。

職場に行っても、顔面蒼白。
仕事が全く手につかない。
意気消沈。
死のうと思う。

ギャンブル依存症だと気づく。そして克服を決意

それからは、ひたすら敗けを取り返そうと給料日になるたびにFX口座に資金を入金するようになる。

3ヶ月連続で支払いなどの家賃などを使い込んでしまい、ついにギブアップ。お金がこれ以上借りられない状態になり、返済が滞り出す。

両親に助けを求める。
この時にギャンブル依存症だということをはじめて自覚する。

任意整理をする。約200万。

依存症関連の本を読み出すが、やめられない日々が続く。
毎月の支払い額が減って金銭的には楽になったことで、やめなきゃいけないとわかっていつつ、ギャンブルに手を出してしまう。

根本的になにかを変えなきゃダメだ。という事実に気づく。
ようやく?遅すぎる気もするがw

両親に給料を全額預かってもらうことを決意する。
職場で税金の滞納をしたときに、社長に給料を管理してもらったことがきっかけです。
30万を5ヶ月で返済し、手元にお金があると自分はダメな人間なんだということを自覚。
手元にお金を持たないといういまのやり方は、この時に確立する。

現在

ちょっとずつ貯金ができるようになってくる。
自分はお金がないひもじい暮らしを人一倍経験してきた。
「お金がなきゃないで生活できるのだ。」
手元にお金を持たない仮想貧乏人となることで貯金ができることに気づいた。
いままでの人生で一度も貯金をしてこないだらしない人間だったが、
「なきゃないで生活をしよう」
この事実に気づいてからは、不思議と貯金ができるようになってきた。
今年貯金額が借金の額を上回る。(もうすぐ達成予定)

おわりに

いまの自分は、いままでの自分の行いがつくっている。
大学まで切符を手にいれながら、自ら捨ててしまった。
日本はリカバリーがきかない社会だ。当時の自分はそんなことを考えることもなく、
第一志望の大学がダメだとわかると、なんとなくで大学を選んでしまった。結局不満ばかり残り、大学生活にも馴染めずいかなくなってしまった。
いまは勉強をしている。
なんとなく待っているだけじゃ、人生が好転することはない。
なんとなくじゃ。ギャンブルはやめられない
なんとなくじゃ、借金は減っていかない
自ら、行動を起こすんだ。望む未来に向かって進め。

スポンサーリンク

フォローしてください!

おすすめの記事